一話
「ああああああああああ!ハハハハハ。」
少女は走っていた。汚れた赤毛を振り乱し、薄い服がたなびいて裾からチラチラと痛々しい生傷を覗させている。靴も履かず石畳の上を渡り、泥と血が混じりながらも路地の隙間から見える僅かな青空を仰ぎながら高らかに笑ったのだ。
引きちぎった鎖、久しい全力疾走に久しぶりの空。彼女は完全に高揚していた。声を出さずにはいられなかったのだ。
「姉ちゃん。熱燗おかわり。」
男はカウンターで酒を呷る。四人掛けテーブル二台に五席のカウンターの小さな居酒屋をまだ二十歳にも満たない女将が一人で回している。
その女将がとっくりの水気を拭いて品を持ってきた。
「はいよ。熱燗とこれ。」
「これは?」
「サービス。余り物で作ったやつだから御代は結構だよ。熱燗にあうから。」
「どうも。…辛っ!」
イタズラな笑顔を見せた後、隣に同じ物を出しに向かった。
二つ離れたカウンターの席で板でも入っているのかと言いたくなるほどに背をピンッと伸ばし、綺麗な金髪を伸ばし泣き黒子がいじらしい女性。聖騎士団長を務めているらしい御方だ。言葉どころか姿を見る事さえ憚られる高貴な方。くれぐれも無礼があってはならない。くれぐれも。
「ブッ!ゴホッゴホッ。辛!」
「激辛病みつきキュウリ。おあがりよ!」
「もうめしあがってるんですよ!痛い、辛い。涙出てきました。水ください。」
「おあがりよ!」
「うるせえ。貴女、私が辛いの苦手なの知ってますよね。」
そんな御方がえらく親しそうに女将にイジラレていた。普通ならこの場で首が飛んでいただろう。貴族社会に無礼講などない。
しかしこの暖簾の内側は治外法権と言わんばかりに身分さがない。刺青とワッペンが机を囲んでいる。彼女がこの店を懇意にしていて黙認している以上、誰も文句を言えない。苦手と言っていた皿は空になっていた。
「姉ちゃん。ごちそうさん。」
「はいよ。」
男は代金を置いて、立ち上がると傍らに置いてあった刀を取り暖簾をくぐった。街は石造りの家々が並び西洋を思わせる。しかし、暖簾と言ったように日本の分化を思わせる物もあり、日本かぶれした西洋人みたいな異質さの有るカラフルな通りに出る。
そんな大道りを歩く男の姿は人波から頭一つ分、もじゃもじゃの黒髪を飛び出させており遠目にも目立っていた。
途中、全裸の大男を白髪の少女が追いかけ注目を掻っ攫っていったが、それを見送り夜風に乗る様にフラフラと街中を渡る川辺までやってきた。この川を挟んで向こうが貴族街となる。そのさらに向こうには大きく隆起した崖が立ちはだかり。上までロープーウェイが一本繋がっている。
ロープーウェイが潜る宮門の上で、風に煽られながらフードを目深にかぶった奴を見つける。月に向って手を伸ばしてる。
「へっきしッ!」
体を冷やしたので帰る足を速めた。メイン通りを離れると人数も街灯も減って薄暗くなってゆく。家の近くまで来るともう人影はない。そんな道端に身を小さくしてうずくまっている物を見つけた。
少女は目を覚ます。
暖かい。久しく知らない感覚に目を覚ます。知らない場所に思わず布団から飛び起きる。人間の匂いがする。匂いの元を探す様に扉を蹴破ると飯を食ってる男がいた。
間の抜けた顔をして「扉が…」と口をパクパクしている。逃げようと思えば容易そうな奴だ。しかし、食ってる飯が目に入る。湯気が立ち香りもいい。唾液腺が爆発して垂れ、腹が限界と言う。
それを乱暴に奪い口に入れるだけ頬張った。味がする。熱がある。食感がある。嘔吐きながらも流し込むように入れる。
邪魔をされる前に食えるだけ食う。そう意気込んで噛み付いたが男は何もしてこない。ただ見られている。近くで見られると食べづらい。
ふと自分の腕に何か巻かれていることに気がつく。手枷も残ってはいるが鎖の部分が根元から無くなっていた。血や泥は拭われ小奇麗に。
「ん?」
「昨日うちの前で倒れてたんだ。覚えてるか?」
助けられたのか。こいつは何も知らないんだな。なら、食うだけ食って出て行こう。
「これは?」
「妹の物だ。もう着られる事は無いから好きに使ってくれ。」
「ふーん。」
人臭い....。肌触りは悪くない。あの恰好でいるよりはマシか。
「おい、お前。他に何かくれる物は。」
「がめついな。まぁ、そうだな。付いてきな。」
外の音がする。出口だ。その手前に履き物が落ちてる。人間臭い上に臭い。ツーンとする。自分ので悪いがと言いながら私の前にそれを置いた。恐る恐る足を入れる。ブカブカで邪魔くさい。でも泥を踏むよりはいい。
頃合いだと思い、出てゆこうとする。しかし、扉が開かない。ガチャガチャと引っ張る。私は蹴破った。
「引くんじゃない、押す」
バコーーン!!!
「何でだ!?」